自由の国の犬ほど、リードにつながれている。── ノルウェーが法律で守る『143日間』の意味

ノルウェーの犬と聞くと、フィョルドの岩場や森の中を自由に駆け回るイメージが浮かびます。
ところが実際には、毎年4月1日から8月20日までの約143日間、つまり1年の40%近い期間、犬をリードから放すことは法律で禁じられています。
背景にあるのは、犬と人だけでなく、「鹿の子ども」や「半野生のトナカイ」までを共生の対象に入れるという、ノルウェーらしい思想でした。

■ ノルウェーには「犬法(Hundeloven)」という国の法律がある

日本ではあまり知られていませんが、ノルウェーには「Hundeloven(フンデローヴェン)」、直訳すると「犬法」という国レベルの法律があります。日本の動物愛護管理法のように動物全般を扱う法律ではなく、犬という生き物だけを正面から定義した、世界的にも珍しい法律です。
この法律の第6条にあるのが、「båndtvang(ボンドツヴァング)」と呼ばれるリード義務期間。期間は毎年4月1日から8月20日まで、おおむね143日間。この間、ノルウェー国内のすべての犬は必ずリードにつなぐか、フェンスで囲った場所の中に入れなければならない、と規定されています。
ノルウェー政府の規定によれば、「飼い主の横をきちんと歩いているから大丈夫」では不十分。物理的にリードでつながれているか、囲いの中にいるか、そのどちらかであることが条件です。
違反した場合の罰金は、おおむね3,000〜4,000ノルウェークローネ(約45,000〜60,000円)。さらに自治体によっては、この期間が前後に拡張されることもあり、ノルウェー北部の自治体では実質的にほぼ通年でリード義務が課されている地域もあります。

■ なぜ「143日間」なのか── 主役は犬ではなく、鹿の子どもたち

ではなぜ、わざわざ法律でこの期間を区切るのでしょうか。
理由は、ノルウェーの自然界の「子育てシーズン」と重なるからです。春から夏にかけて、ヘラジカやアカシカ、水鳥、野ウサギ、そしてサーミ民族が伝統的に飼ってきた半野生のトナカイなど、多くの動物がもっとも無防備な時期を迎えます。
ノルウェー政府(regjeringen.no)の発表によると、犬は咬まなくても、追いかけるだけで野生動物に深刻なダメージを与えるとされています。母動物が驚いて子から離れる、子鹿が崖から落ちる、家畜のトナカイが過呼吸で命を落とす── そうした事故が毎年実際に起きてきました。
だからこの143日間は、犬の自由を一時的に制限してでも、もっと弱い立場にいる生き物の命を優先する。「人間と犬」だけで完結する共生ではなく、その外側にいる野生動物までを含めて、季節で主役を交代させる、という選択がなされているのです。

■ もう一つの法律「動物福祉法(Dyrevelferdsloven)」

ノルウェーにはもう一つ、犬と暮らす人にとって大切な法律があります。2010年に制定された「Dyrevelferdsloven(動物福祉法)」です。
この法律は、動物を「物」ではなく「感じる存在」として扱うことを正面から明文化した法律で、犬の場合は、運動・刺激・人や他の犬との社会的接触を満たすことが飼い主の義務として定められています。長時間ひとりで留守番させること、狭いケージを日常の住まいとして使うことは認められません。
2023年末時点で、ノルウェーには約500,000頭の犬が暮らしていると報告されています。人口約550万人のうち、およそ17%の世帯が犬と暮らしている計算です(Statista調べ)。
つまりノルウェーは、「犬の権利」と「野生動物の権利」を別々の法律で支え、そのどちらにも、人間が守るべき責任を負わせる、という二段構えの仕組みを持っています。

■ 日本との違い── 「自由」と「責任」の組み立て方

日本には、ノルウェーの「犬法」に相当する国レベルの犬専用法はありません。動物愛護管理法という大きな枠組みはありますが、散歩のあり方や、自然との距離感、リードを外してよい場面の定義は、基本的に飼い主一人ひとりの自主性に委ねられています。
ノルウェーが「年5ヶ月間リード義務」と堂々と書ける背景には、もう一つの前提があります。それは、残りの約222日間は、訓練と責任のもとであれば犬を放して歩かせてよい、という社会的な合意がすでに存在していること。
つまりノルウェーは「自由」を制限している国というよりも、「自由」と「責任」を季節で明確に切り替えている国だと言えるかもしれません。日本は、その意味では、まだ「自由」と「責任」を時期や場所で切り替える文化を社会全体としては育てている途中にある、という見方もできるのではないでしょうか。
これは「日本が遅れている」という話ではなく、「日本はまだ違うフェーズにいる」というだけのことだと、私たちは考えています。

■ 私たちが日本でできること

ノルウェーのような制度ができるのを待つ必要はありません。今日からでも、私たち一人ひとりにできることがあります。
ひとつは、季節や場所で犬との関わり方を変えるという発想を、自分の散歩ルートに取り入れること。野鳥が子育てをしている河川敷、繁殖期の池のほとり、田植えのあとの畝道。少し意識するだけで、犬と一緒に「街と自然の通行人」としてふるまう感覚が育っていきます。
もうひとつは、リードを「制限の道具」ではなく「共生の道具」として捉え直すこと。リードがあるからこそ、人と安心してすれ違える。リードがあるからこそ、カフェのテラスやベンチの隣で、人と犬が同じ時間を過ごせる。
ソプラ銀座は、犬の幼稚園やホテルの現場で、毎日のように「リードでつながれた状態でも、犬は自分らしくいられる」という光景を見てきました。リードは、犬の自由を奪う鎖ではなく、人と犬が同じ社会の中で隣同士に座るための、ささやかな約束ごとなのだと思います。

▼ 締めに

「自由の国の犬ほど、リードにつながれている。」
一見矛盾するように見えるこの状況には、共に生きるとはどういうことか、というノルウェーなりの答えが詰まっています。
人にも、犬にも、鹿にも、それぞれが主役になる季節がある。そんな順番で世界を見直すと、いつもの散歩道や、街の風景や、リードの意味さえも、少しだけ違って見えてくるはずです。
共に生きるという選択を、社会の前提に。日本でも、その第一歩を、私たち飼い主の小さな習態から始めていけたら── そう願っています。

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