カフェの足元で、犬が静かに眠っている。
パリでよく見かける光景です。観光客はそれをエモい風景として撮りますが、その背後には、法律と、市場と、鉄道会社の運賃表があります。
今日は、フランスがどうやって「ペットと暮らすこと」を都市と経済のインフラに編み込んできたのかを、最新の数字でたどってみたいと思います。海外礼賛のためではなく、日本でも次に何ができるかを考えるために、です。
■ フランスのペット経済、まずは数字から
フランス国内には、犬が約970万頭、猫が約1670万頭います(2024年)。世帯の61%が何らかのペットを飼っていて、そのうち半分以上が犬または猫と暮らしている計算です。
市場規模も大きい。ペットフードだけで、2025年は約61.8億ドル(およそ9,300億円)。2030年には76.4億ドル規模に達すると予測されています。年あたりのフード予算は、犬1頭につき平均490ユーロ、猫1匹につき324ユーロ。日本の感覚でいえば、犬1頭に年間8万円弱を「ごはん代だけで」使っている計算です。
そしてパリ。中心部の人口210万人に対し、犬は約30万頭。およそ7人に1匹の密度です。これは「犬好きが多い」という話ではなく、「犬がいることを前提に都市が動いている」という話に近い。
■ ベースには「動物は感覚を持つ存在」という1行
この経済を支えている思想的なベースが、フランス民法典 第515-14条(Article 515-14)です。2015年に改正され、動物は「感覚を備えた生きもの(êtres vivants doués de sensibilité)」として、家具や財産とは別カテゴリで定義されました。
それまでフランス民法は、犬や猫をテーブルや椅子と同じ「動産」として扱っていました。それを、たった1行の改正で「感覚ある存在」と書き直した。2025年は、この改正からちょうど10年の節目です。
▼ 法律が変わって、何が変わったのか
実務的には、動物は依然として「財産の規律に従う」とも書かれていて、すべてが革命的に変わったわけではありません。それでも、この10年で確実に動いたものがあります。動物虐待への厳罰化、ペット販売規制、そして商業空間や公共交通における犬の扱い──いずれも「彼らは感覚を持つ」という前提のうえで議論されるようになりました。
法律はある日突然、街を変えるものではないのかもしれません。けれど、長い時間をかけて「議論の土台」をつくる力はある。フランスの10年は、ちょうどそのことを示しているように見えます。
■ €7でTGVに乗る、という具体策
フランスの鉄道会社SNCFの運賃表は、その典型例です。
高速鉄道TGV INOUI(イヌイ)の場合、ひもをつけた犬1頭あたりの運賃は片道7ユーロ(およそ1,100円)。6kg未満の小型犬や猫は、ケースに入っていれば無料です。格安ブランドのOUIGOは犬1頭10ユーロ、夜行列車 INTERCITÉS Nuitは19ユーロ。
つまり、犬は「持ち込み荷物」ではなく、運賃表に独立した行を持つ「乗客」として扱われている。盲導犬は当然、無料です。
日本でも近年「わんわんエクスプレス」のようなチャーター列車が話題になりましたが、フランスでは特別列車ではなく、日々動いている定期運行のTGVに、当たり前のように犬が乗っています。違いは「イベントとして開放するか」「日常として組み込むか」のフェーズの違いだと言えるのではないでしょうか。
■ カフェと食卓に犬がいる、ということ
レストランやカフェも、犬の存在を前提に設計されています。パリではテラス席はもちろん、店内に犬を入れてよい店も少なくありません。サンジェルマン・デ・プレの老舗カフェ「Les Deux Magots(レ・ドゥ・マゴ)」では、足元で眠る犬の姿が日常風景です。ミシュランの星付きレストランで犬と食事ができる店すらある、というのはフランスらしい話だと思います。
ただし、すべてが理想郷というわけではありません。スーパーマーケットや食品を扱う商店では、犬の同伴は基本NG。観光客が「あれOKなのにこれはNGなの?」と戸惑うことは多い。
ルールは、ゆるくもあり、厳しくもあります。重要なのは、「犬を排除する」ではなく「どこで一緒にいられるか」を細かく設計している点です。
■ 日本との違いは「遅れ」ではなく「フェーズ」
日本でペット同伴が広がりにくい背景には、衛生規制、住宅事情、保険の整備状況など、フランスにはない構造的な要因があります。集合住宅比率の高さ、食品衛生をめぐる慣行、そしてアレルギーや鳴き声への合意形成のコスト。どれも一朝一夕には片付かないテーマです。フランスが進んでいる、日本が遅れている、という単純な話ではなく、それぞれが違うフェーズで「ペットと暮らせる社会」を設計している、と捉えるほうが正確だと考えています。
ただ、参考にできるピースは確かにあります。
たとえば、公共交通に「ペット運賃」を正式に設定すること。商業施設で「同伴可ゾーン」を建物単位ではなく区画単位で設計すること。そして、動物の法的位置づけを「物」のままにしておくのか、議論を始めること。
このどれもが、日本でも今日から始められる検討です。立法が動くのを待たなくても、運賃表のひとマス、テラス席のひとつ、賃貸契約書のひと項目から、ペット共生のかたちは少しずつ書き換えられます。
■ 私たちが、銀座から考えていること
ソプラ銀座は、ペットサロン・幼稚園・ホテル・教育事業を通して、「犬と人がいる時間」を都市の中につくってきました。私たちの拠点・銀座は、商業と文化の街でありながら、犬と歩く人が少しずつ増えている街でもあります。
法律を変えるのは国の仕事ですが、「犬と一緒にいてよい場所」を1つずつ増やしていくのは、店舗・事業者・飼い主の私たち全員の仕事だと考えています。€7のTGV切符は、誰かが運賃表に「Chien(犬)」と書き加えた瞬間から始まった、ということを忘れたくないのです。
いつかの日本でも、新幹線の切符に「犬1頭 ¥1,000」と当たり前のように書かれる日が来るのではないでしょうか。
そのときの主役は、政治家でも鉄道会社でもなく、今日カフェの足元で眠っている、うちの子たちです。
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